復興応援動画

3月11日に発生した東日本大震災により、犠牲になられた方々のご冥福を
謹んでお祈り申し上げますとともに、被災された皆様、そのご家族の方々にたいしまして、心よりお見舞い申し上げます。
一日も早い復旧復興をお祈り申し上げます。

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想像力の欠如と視野狭窄2
情報サイド - 知識の裏に真理あり(一般無料)
2011年 10月 06日(木曜日) 10:00

「心の眼の視野狭窄」はどうして起こるのか?
なぜ自分にしか興味が持てないのか?
半径1mで生活しているとはどういうことか?
心の眼を開いて遠くまで眺めよう!

前回では「心の眼が視野狭窄」して自分しか見ていないというお話をしました。
では、なぜ自分しか見なくなってしまうのでしょうか。

自分しか見ないと言うのは言い変えると自分にしか興味がないということです。つまり自分の興味のあるものしか見ないということです。一見違う意味のようですが、興味が他人に向けられることはないと言う点では同じことです。そして自分の興味のあるものというのは、自分の分身なのです。

前回、興奮した時ほどよく覚えているという記憶の特徴をお話しました。興味のあることには、もちろん脳が興奮しますからよく覚えています。逆に興味を覚えず脳が興奮しないと記憶に残りません。学生時代に、つまらない授業の内容は覚えていないのと同じですね。

ところで人格とは記憶の集合体であると定義できます。「解離性同一性障害」いわゆる「多重人格」のことですが、ここで解離しているのは記憶や意識、知覚ですが主に記憶と言ってよいでしょう。これは解離性同一性障害の原因が、強い心的外傷を受けたときに自我を守るために、その心的外傷が自分とは違う「別の誰か」に起こったことだとして記憶や意識、知覚などを高度に解離してしまうからと考えられていることからも明らかです。

興味を覚え脳が興奮した時のことをよく覚えているのならば、人格の形成にその興味の対象が強く関わっていることは当然です。これが興味のあるものが自分の分身であると言う意味です。

となれば問題は興味の方向にあることになります。
興味の方向とは、外側、つまり興味の対象が関連した事柄についても拡大して行くのか、あるいは内側、興味の対象が興味そのものよりも、そこから得られる感情(快感)に向かうのかということです。

興味の方向が外側に向いている人は結果として自分以外の人間も興味の対象となってゆきますから、外交的な社会生活者となることができるでしょう。
しかし、内側に向かってしまうと他の事はまったく関心がなくなってしまう恐れが大きいのです。そして近視眼的な精神状態になってしまいます。

近視眼的とは半径1メートル、つまり手の届く範囲しか見ていない状態という意味です。引きこもりのようなものですが部屋に引きこもらずとも半径1メートルで生活している人間はたくさんいるのです。
1メートルは極端ですが、自分の生活圏しか見ていない人間はもっとたくさんいます。
もちろん誰にでも生活圏はあります。問題はその内側しか見ていないという事です。

別の表現をするならば世間のことをまったく気にかけないということです。自分の生活圏の外で起きたことには興味がありません。例えば学生などによくみられます。自分と学校生活以外に興味がありません。興味がないと言うよりは実感がないと言うべきでしょうか。世間の事件は絵空事にしか思えません。
ただし学生生活というのは社会に出るための準備期間であるのですから、ある意味で仕方のないことです。

しかし例えばイジメを受けている場合を考えてみると、学校生活が総てであると思いこむことは心の負担になります。少し視点を変えれば学校の外には広い世界が広がっていることに気づくはずですが、ここでも視野狭窄が起きているのでドンドン追い詰められてしまいます。
根本的な解決とは違いますが、フリースクールなどに通うことで学校以外の世界を知ることが心のケアになるのはこういう理由です。イジメの現場から離れることよりも意識を変えることで閉塞感を解消することができるのです。

イジメは極端な例ですが、多かれ少なかれ何かに夢中になっている場合は視野が狭くなりがちです。学生時代に一つの事に夢中になるのは普通のことですし、ある意味で健全な心の働きです。問題なのは前述の通り「心の眼が視野狭窄」で自分しか見ない、そしてその心の眼が自分の内側を向いてしまっている状態です。このような状態が健全とはいえません。「わがまま」とか「自分勝手」などと言われているうちはまだましですが、極端な場合は社会生活に支障をきたすようになります。

心の視野を広く取ることはとても大切ですが、さらに重要なことは心の眼を外界に向けるという事です。この外界とは、すなわち自分の生活圏の外側という事です。
単純な例で言えば海外のニュースなどにも眼を向けるという事です。自分とは縁もゆかりもない人々の暮らしや事件などに興味を持つという事です。想像力はそういう興味から育ってゆくものだからです。

(辻 康則)
 
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